ルードウィヒ・B を観た

去年の12月13日、シアターBRAVA!で公演していた「ルードウィヒ・B」を観劇した。

ルードウィヒ・BはA.B.C-Zの橋本良亮、河合郁人が出演している舞台である。

 

A.B.C-Zが出演している舞台を観に行くのはこのルードウィヒで三つ目である。(出発、イットランズ、ルードウィヒ)

ファウスト」も観に行くべきだった…と日々後悔の連続だが、今更後悔しても仕方がない。

 

 

橋本くんは外部の舞台がこれが初めてですごく緊張していたのではないだろうか。しかも演奏した事もないピアノ初挑戦…。(これは河合くんも一緒である)ジャニーズwebや雑誌の記事などを読んでいる限り二人ともこの舞台のためにとても練習をしたんだろうなという思いでいっぱいだった。

 舞台だから当然ではないだろうか?と言われるかも知れないが、私は観客のために必死に練習をして、アイドルの活動もして舞台に挑む彼らがとてもかっこ良く感じていた。しかもA.B.C-Zはアクロバットが売りのグループである。これでアクロバットの時に怪我でもしてしまったら…指が大事なピアニストなのにと心配でもあったからだ。

だから当日に舞台を観れて良かった。無事に千穐楽まで駆け抜けてくれて良かった。安心とともに終わってしまったのかという寂しさが生まれた。

 

その日までネタバレを回避しつつ過ごしてきた私はとても楽しみであった。(アフターショーのネタバレはちょくちょくと見ていたが)

その劇場自体がとても狭くて、前から四列目のセンター辺りの席を引き当てた私はもう朝から緊張しっぱなしであった。最速のチケットで入手したからチケットの当選通知を受け取った時からその日までは本当に長く感じた。これはイットランズの時にも言ったような気がするが、置いておく。

 

ルードウィヒは始まりからして壮大であった。

最初に里見さん演ずるルードウィヒの父親ヨハンの歌声。これまた美しく、里見さんはこんなにも歌がうまいのか…と感動してしまった。私は里見さんと言えばあの「リーガル・ハイ」の服部さんである。あの服部さんが…!と一瞬思ってしまったが、その服部さんイメージもすぐに消え去り、ヨハンというルードウィヒの未来を見つめているお父さんにしか見えなくなりました。さすがだった。

ルードウィヒがフランツに殴られ耳が悪くなってしまうシーンがあり、後ろのスクリーンにでかでかとこの舞台の名前、ルードウィヒ・Bのロゴが現れ舞台が始まるのだが、そこの耳を殴られて苦しむルードウィヒがとてもリアルで、苦しそうで。見ているこちらも少しばかり苦しくなってしまった。

床に這いつくばり痛みを堪えるルードウィヒ…橋本くんは何を考えながら演じていたのだろうか…。

 

ここからは記憶しているところを書いていこうと思う。そろそろメモを取るべきなのだろうか。

 

 ルードウィヒが自分の家でピアノをぽろぽろと弾いてお母さんがその家に帰宅するというシーンがあったのだが、そのシーンのルードウィヒはとても本当に可愛かった。ルードウィヒくんを息子にください!というぐらいに可愛かった。

ルードウィヒはとても母親の事が大好きだったのだろう。そのことは橋本くんもパンフレットで語っている。母親の事が大好きで大好きで仕方がなかった。でも父親は、好きなんだけど母親に向ける愛情とは少し違うものを持っているのであろう。

母親も父親もルードウィヒの事が好きで、ルードウィヒの未来を考えていた。両親とも愛し方は違うし接し方も違うのだが思っていた事は一緒なのではないだろうか。

 

そしてモーツァルトとルードウィヒの出会いである。(結構はしょっているが)

河合くんのあのキャラクターには度肝を抜かれた。こう言うと言い過ぎな気もするが、フッと会場の雰囲気が変わった気がする。モーツァルトは本当はこういうキャラクターなのだろうか…という思いにもなってしまった。でも本当に似合っていた。

モーツァルトの河合くんはとても美人で美しかった。あのウィッグもとても似合っていたような気がする。気がするというか似合っていました。バッと客席を降り、一列目の女性に「君…」と語りかけるのは反則だと思います。アレをされてしまったらその女性は絶対河合くんにときめくじゃないですか!(という個人的な思い)

破天荒なモーツァルトは朝ご飯を食べながら作曲をしていた。その時にワインを飲み干す。河合くんのアドリブなのかごきゅごきゅという音を鳴らしながら飲み干す。一杯目。そして二杯目をまたごきゅごきゅとルードウィヒに引かれながら飲んでいると、まさかのこぼす。口の端っこからワインが滴り落ち思わずモーツァルト(というか河合くん)は後ろを向いてしまう。何やってるんだよ〜!という感じでルードウィヒが寄り添う。私も思わずやっちゃった!って思ってしまったが、会場はくすくすと笑いが上がっていた。

アドリブが多いとは聞いていたが、私はどれがアドリブでどれが違うのかがいまいち分からなくなっていた。だけどこのこぼすのはアドリブではなくアクシデントだと把握した。

 

母との別れ。モーツァルトのところにいる時に母が病で倒れている事を知るルードウィヒ。モーツァルトは馬車を用意してルードウィヒを母のところへいくように指示をした。その時にモーツァルトは「友達だからね!」と言った。この舞台は人間関係というのもキーワードなのだろう。両親、友達、恋人…様々な人との関わりがルードウィヒを育てているような気もした。

家に帰ったルードウィヒは母のところへと駆け上り、最後の言葉を聞く。その時のルードウィヒがとても良かった。橋本くんは本当に演技がうまい。ファンの目線から見ているからかも知れないが、引き込む演技をする。ルードウィヒが涙ながらに母との最後の会話をする。そのときに一瞬だけ困った笑いを浮かべるのだ。現実を受け入れれない表情とでも言うのだろうか。

「本当はね、母さんに聴いて欲しかった」という台詞が心に残っています。本当は一番大好きなお母さんに一番に聴いて欲しかったルードウィヒ…。お母さんの事が本当に大好きで、大切だからこそ…。橋本くんの表情も悲しみに溢れ出ていました。叶わない願い、お母さんとの別れ、辛いシーンでした。その後にお父さんは酒の入っていた瓶を机に叩き付け立ち去って行く。ルードウィヒに感情移入をしてしまい、私は切なさと悲しみ、どこへにも向けれない父への怒りが沸いてきました。ルードウィヒはどのような気持ちだったのでしょうか。

 

ワルトシュタイン伯爵という貴族がいたのだが、その人の存在もかなり大きいと私は感じた。ルードウィヒが困っている時に助けてくれる、ルードウィヒの「友達」である。エレオノーレと出会えたのも、ルードウィヒが手紙にて耳の事を打ち明けたのも、ウィーンへ行くためにルードウィヒにお金を差し出したのもすべてワルトシュタインがした事である。ルードウィヒは知らないが、ワルトシュタインは最初ルードウィヒのピアノの音色を聴いた事がる。ルードウィヒの家の前へ通った時にパン屋のアントンさんにルードウィヒを紹介してもらっていたのだ。その時に「応援してやってくださいね」という感じの事をアントンさんに言われて「もちろんです」という返事をしていたような…。

影から支援、これも友達だからでしょうか。でも耳の事をルードウィヒが最初にワルトシュタインへと打ち上げるということは、ルードウィヒもワルトシュタインの事を信頼していたのでしょう。

ワルトシュタインがルードウィヒと出会わせた女性エレオノーレもとても大事な役割を担っている。私が一番ルードウィヒとエレオノーレで好きなシーンは、観劇したみなさんは思っていると思いますが、やはり「君の右手に真実のキス」のところである。私はとてもときめいた。もう本当にときめいた。真実のキスと言いながらエレオノーレの右手の甲にキスを落とすんですよ…。もう心の中ではルードウィヒよくやった!と叫んでおりました。エレオノーレはルードウィヒに出会う前からフランツに求婚を迫られていて、それを拒み続けていました。きっとエレオノーレにとって身分等には興味がないものだったのでしょう。フランツの階級が上がった!とかそういうものには興味がなく、身分も関係なく自分を愛してくれる人がよかったのでは…と今更ながら思っています。

 

フランツはルードウィヒと対のような存在であり、背中合わせをしているような感じであった。言葉にするとよく分からないが、そんな感じなのである。ルードウィヒが時々苦しみながら耳が聞こえなくなる現実を受け入れれない、そんな時にフランツは現れる。そしてまだルードウィヒが耳が聞こえるという事実を知りフランツも苦しむのである。フランツはエレオノーレを愛していた。だがルードウィヒがエレオノーレと出会う、その時も激高した。その気持ちはとても分かる。憎んでいる人間が愛している人間に近付く、そう考えるだけで怒りが湧き出てくる。人間とはそういうものなのではないだろうか。フランツは嫉妬していたのではないだろうか。ルードウィヒはフランツがしたかった音楽をして、愛する女性を奪い取られて…。だが最終的にフランツもルードウィヒに心を動かされたのか苦しみに耐えきれず倒れたルードウィヒを助ける。フランツは何を考えてそのような行為に走ったのだろうか。

フランツは一人の子を息子に迎えた。それが後にルードウィヒと一緒に交響曲を作る事になるユリシーズだ。ユリシーズは耳の聞こえないルードウィヒに会いにいき、身振り手振りでなぜここに来たのかを説明する。その時も河合くんはとても河合くんだった。身振り手振りがとても可愛い。とにかく大きくそれでいて分かりやすく!という感じだったが、ルードウィヒはなかなか理解出来てないようだった。だがそれを理解しようとしているルードウィヒもとても可愛かった。今までのルードウィヒと違う小さな小さな声で「うん?」とか「ああ…」とか言いながら理解しようとしていた。完全にキャラクターを把握していたかのような演技だった。

だが10年後の老いたルードウィヒのカツラがとても気になった。急いではっつけたのかは分からないが、何かゴミがついてる…と一瞬感じてしまった。あれは白髪だったのか。なるほどそういう表現もあるのだなと感じた。

 

 

書きたいものが多すぎてん長々と書いていって最後にどうまとめたらいいのか分からなくなってしまった私はまだブログを書くのに慣れていないのだろう。

ここで一旦書くのを止めておく。また思い出したらこっそりと追加していこうと思う。改めて記憶力の低下…。